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さすらい
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制作年 | 1976 | |
邦題 | さすらい | |
原題 | lm Lauf der Zeit | |
ジャンル | ドラマ | |
時間 | 176分 | |
フイルム | 35mm | |
カラー | モノクロ | |
製作国 | 西独 | |
製作会社 | ヴィム・ヴェンダース・プロダクション | |
製作 | ミヒャエル・ヴィーデマン<Michael Wiedemann> | |
監督 | ヴィム・ヴェンダース<Wim Wenders> | |
脚本 | ヴィム・ヴェンダース<Wim Wenders> | |
撮影 | ロビー・ミュラー<Robby Müller>/マルティン・シェーファー<Martin Schäfer> | |
編集 | ペーター・ブルツィゴッダ<Peter Przygodda> | |
音楽 | アクセル・リンシュテット<Axel Linstät>(インプルーブド・サウンド・リミテッド) | |
出演 | リュディガー・フォーグラー<Rüdiger Vogler>(ブルーノ・ヴィンター)/ ハンス・ツィッシュラー<Hanns Zischler>(ローベルト・ランダー)/ リザ・クロイツァー<Lisa Kreuzer>(パウリーネ)/ ルドルフ・シュントラー<Rudolf Schundler>(ローベルトの父)/ マルクアルト・ボーム<Marquard Bohm>(妻を失った男)/ ディーター・トライヤー<Dieter Traier>(パウル)/ フランツィスカ・シュテンマー<Ftanziska Stömmer>(映画館主)/ ペーター・カイザー<Peter Kaiser>(映写技師)/ ミヒャエル・ヴィーデマン<Michael Wiedemann>(先生) |
ブルーノ・ヴィンターは2年来大型ワゴンに乗って小さな街の映画館を巡回し、映写機の修理をしたり、フイルムを運ぶ仕事をしている。この大型ワゴンは彼の仕事場兼住居だ。ある朝エルベ川のほとりにワゴンを止め歯を磨いていると、ワーゲンが猛スピードで走って来て川に飛び込んだ。唖然として見ているヴィンター。乗っていた男は車が沈む直前に鞄をもって脱出し、びしょぬれで川岸に上がって来た。ヴィンターは男に乾いた服を提供し、当然のように車に乗せて出発する。男の名はローベルト・ランダー。東ドイツとの国境線に沿ってリュッヒョー、ヴォルフスブルク、ヘルムシュテットと回る旅に同行させた。ローベルトは妻と別れて来たところで、頻繁に電話をするが相手が出る前に電話を切ってしまう。
シューニンゲンの公民館ではスピーカーの設置に手間取るブルーノを見ているうち、ローベルトがスクリーンの背後で影絵を始めてしまう。ある晩、閉鎖された鉱山の前にワゴンを止めて野営する。ところが廃屋の筈の工場から物音がして眠れない。行ってみると、男が立坑に石を落としている。男は、妻が自殺するために事故を起こしたと言い、血まみれのレインコートを着ている。ローベルトは自分のマットを彼に与えて眠らせた。翌朝牽引車が男の車の残骸を取りに来る。
ブルーノが眺望台に上っている間、ローベルトはフロントガラスの下に「僕はオストハイムの父のところにいく」と書いた紙を挟んで、一人出かけていく。新聞を一人で発行している父には何も言わせず、自分と母親には決して発言を許さなかったと非難する。彼は印刷室で一夜を明かした。その間、ブルーノは遊園地でパウリーネという女性と知り合い、映画に誘う。彼女は実は映画館の窓口をやっていて、終演後、二人は空っぽの映画館にとどまる。
翌朝ブルーノはローベルトをオストハイムに迎えに行き、二人はまた一緒に旅を始める。ブルーノが自分の生家を訪ねたいと言い、ブルーノの旧友のパウルのところへ行ってサイドカー付きのバイクを借りる。ライン川の中州にある島にブルーノが母親と暮らしていた家があった。もう廃屋になっていたが、幼い頃の想い出の品を見つけることができた。その日ブルーノはその家の中に、ローベルトは外に寝る。
二人は再びブルーノの仕事のルートを巡る。ある晩、二人は東ドイツとの国境にたどり着いてしまった。そこにあった米軍の監視小屋に入り込んだ二人は、酒を飲みながら話をする。ローベルトが別れた妻に電話していることをブルーノが責め、それに対しローベルトがブルーノに何の夢も持たずに一人で旅していることを非難し、殴り合いの喧嘩になってしまう。だが、お互いに相手から何かを学んだようだ。ブルーノは誰かと暮らすこともあるかもしれないし、ローベルトは一人で暮らすことができるかもしれない、その可能性をお互いに知ったのだった。
翌朝、ローベルトは「すべては変わる」というメモをドアに貼り付けて立ち去る。列車に乗ったローベルトとワゴンを走らせているブルーノが今一度偶然に同じ方向に走り、交差し、そして別れていく。
夜、ブルーノはドイツの田舎の映画館の惨状を語る映画館主の話を聞いている。
「時の移ろい」という原題をもつ、ロードムービー三部作の最後の作品。3作品の中では、本作が最高傑作との声も高い。個人的には「都会のアリス」も好きなので、甲乙つけがたいが、約3時間の長丁場、のんびり開放的な気分で見られるし、これが一番ロードムービーらしい作品だと思う。何よりエンディングが明るく、ヴェンダース作品の中では最も楽観的な結末となっているのではないだろうか。 西ドイツと東ドイツの国境あたりをロケハンだけしっかりやって、脚本はなし。脚本も決めずに撮影に入って、即興的な部分の良さを保ちつつ、作品としての質を下げず、怠惰な感じを出さないなどという映画ができあがったのは、まさに奇跡だ。もちろん現場はすさまじいものだったようだが。 この映画の主役は人ではなく、風景だ。風景だけ決めて撮影に入った理由がよくわかる。東ドイツとの国境地帯だが、アメリカの荒涼とした西部地帯のように見える。これもアメリカ文化へのオマージュなんだろう。ヴェンダースはウォーカー・エバンス(Walker Evans 1903~1975)が1930年代、不況下のアメリカ南部の様子を撮影した写真が「さすらい」の出発点になったと語っている。これらの風景に共通しているのは寂寥とした感じ。かつてにぎわったであろう場所が今は寂れている、かつて使われていたのに今は使われていない建物がある等。鉱山のようなところ、ブルーノの生家、米軍の見張り小屋、そして最たるものが映画館なのだろう。 大型ワゴンの中から見える車窓風景やサイドカーで走る場面、とぎれとぎれに挟まれるディランの歌。二人で歌う""Just like Eddie"" (1964)
はハインツというバンドの歌なんだが、驚いたことにこれはリッチー・ブラックモア先生が若き頃バックバンドをしていらしたそうな(何となく敬語)。この曲は初めてリッチー先生も参加したシングルだったようだ。ほかに私がわかったのは以下の曲くらい。 ロード・ムービーでかつロックンロールがバックにかかるあたりがアメリカン・ニューシネマと近い印象を残すが、大きな違いはこの映画がモノクロだということだろう。ヴェンダースは何故「さすらい」をモノクロで撮影したかという問いに対し「モノクロの方がリアリティがあり、カラーの方が虚構性が強いからだ」と応えている。私は単純にカラーは原作あり、モノクロは原作なしで分けていたが、そうとも限らないようだ。いずれにせよ、これはカラーでは成り立ち得ない映画のように思われる。 |
Music Infomation |
Photo : Wim Wenders Production 1976
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