東京画
Tokyo-Ga
制作年 |
1985 |
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邦題 | 東京画 |
原題 | Tokyo-Ga |
ジャンル | ドキュメンタリー |
時間 |
93分 |
フイルム |
16mm(35mmにブローアップ) |
カラー |
カラー |
製作国 | 西独 |
製作会社 | 西独=米 |
製作 | クリス・ジーヴァーニッヒ<Chris Sievernich> |
監督 | ヴィム・ヴェンダース<Wim Wenders> |
脚本 | ヴィム・ヴェンダース<Wim Wenders> |
撮影 | エド・ラッハマン<Ed Lachman> |
編集 | ヴィム・ヴェンダース<Wim Wenders>/ソルヴェイグ・ドマルタン<Solveig Dommartin> |
音楽 | ローラン・プティガン<Loorie Petitgand>/ミーシュ・マルセー<Mèche Mamecier>/チコ・ロホ・オルテガ<Chico Rojo Ortega> |
出演 | 厚田雄春/ 笠智衆/ ヴェルナー・ヘルツォーク<Werner Herzog> |
■ 内容
ヴェンダースが最小のクルーを連れて東京を歩き回り、撮影する。東京タワーでヘルツォークと映画について語り合う。そして小津映画の常連だった笠智衆が北鎌倉の川喜多邸でインタビューに答え、円覚寺に小津の墓参りへ行く。また、カメラマンだった厚田雄春のインタビューを収録している。
■ 感想
「パリ、テキサス」のクランクイン前に撮影し、公開後に編集したドキュメンタリー作品。小津安二郎監督をこよなく尊敬するヴェンダースが小津やそのスタッフと作品に捧げたオマージュである。
ヴェンダースは基本的に非常に素直で謙虚なアーティストだ。多くの映画を見て、たくさんの映画監督を尊敬している。その中でも小津はNo.1なのだが、言ってみるとちょっとミーハーなところがある。
冒頭と最後に小津の「東京物語」の作品がそのまま使用されている。まずはヴェンダースが撮影監督と二人で東京を見てまわる。撮影されたのが1983年当時のため、タケノコ族とかロカビリー族とか、原宿あたりのすでに懐かしい風景が、昭和30年代の更に懐かしい風景と対比的に撮影されている。1983年に収録し、1985年に完成し、1989年に日本で公開された。だから1989年に日本で見た人はもはや違う日本になっていると感じたのではないだろうか。パチンコ屋や後楽園の巨大なゴルフ練習場をわざわざ選んでいる。「夢の涯てまでも」のときはカプセルホテルだし。あと、外人のお約束で合羽橋の食品見本製造工場を訪ねている。
夜のゴールデン街はきっとあまり変わらないんだろうな。新宿御苑の花見はきれいだと思って撮っているんだろうけど、花見をしている日本人がバカみたいな気もして、ちょっとどういう意図で撮ったのか…日本人の習慣というか風俗として純粋に撮影したんだろうとは思うのだが、複雑な心境だ。
北鎌倉の小津のお墓は有名で、墓碑銘はなく「無」とだけ刻まれている。お参りする笠智衆も今はもう故人だ。そう言えば笠智衆が亡くなったときは、とにかくショックで絶句したな、と思い出す。この作品を観て、あらためて、小津監督と笠智衆は雰囲気が似ているなと思う。よく言われることだが、二人は年齢的に一つしか違わない。笠智衆が「すべて先生の指示に従って、自分の演技などしなかった」と語っているが、まさに彼は小津の分身だったのだな、と思う。そして笠は日本の父になったのだ。が、小津自身は生涯母親の家に住み、自分の家庭を持たなかったのであった。
撮影監督の厚田雄春のロングインタビューも良い締めくくりだった。ただ、ヴェンダースの語りはいつもは好きなのだが、今回に限っては邪魔だ。翻訳しなくても、わかるんだから、ちょっと黙ってて欲しい、というのは無理な話で、フランス向けに作られているのだから、仕方がない。
小津作品とヴェンダースの映画に共通点はいくつかはある。一つには長回し、カットなしですべての動作を見せるときがある(「さすらい」の主人公二人の出会いのシーン)。それから反復というか似たシーンを作る。これはこの映画で「東京画」の冒頭とラストが入っているのを見てもわかるが、同じ場所を使って似たような会話をさせたりする。また、同じ動作を他の人にさせたり、真似をさせたりして反復する(「都会のアリス」のフィリップ・ヴィンターとアリスが一緒にスピード写真を見るシーン)。他にもいろいろとあるだろう。
しかし本人が言うほど、直接的な影響があるとは思えないのだ。むしろ圧倒的なアメリカ映画育ち(小津は入社前に日本映画を3本しか見ていない)でありながら、自らの映画言語を作り上げた、その意味での師匠であると感じたのかもしれない。
私にとって小津作品は正直退屈だ。あのリアルな「間」と目線と同じの低いアングルがいいんだということは理解できるんだが、受け入れるのが難しい。日本人である私がヴェンダースの「間」は受け入れられても、小津の「間」がダメというのは、世代の違いとしか言いようがないのかもしれない。
しかし、私も小津の系譜に連なるたくさんの人たちが作った映画やテレビドラマを見ているのは確かだ。日常の平凡な中にこそあるドラマを描き続けている人たち。木下恵介→山田太一のラインはこの松竹の流れだと私は思う。犯罪や劇的な生涯などとは無縁の舞台を作り、そこからドラマを作り上げる。昨今のドラマにはない味があった。もうああいうドラマも減ってしまったなぁ。
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1989年6月 フランス映画社配給
1985年カンヌ映画祭特別招待作品