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エンド・オブ・バイオレンス
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制作年 | 1997 | |
邦題 | エンド・オブ・バイオレンス | |
原題 | The End of Violence | |
ジャンル | ドラマ | |
時間 | 122分 | |
フイルム | 35mm | |
カラー | カラー | |
製作国 | 独 | |
製作会社 | シティ・ピクチャーズ/ロード・ムーヴィーズ・フィルムプロダクション | |
製作 | 製作総指揮:ジャン=フランソワ・フォンラプト<Jean-Fransoi Fonlupt>/ウルリッヒ・フェルベルグ<Ulrih Felsberg>/製作:ディーパック・ネイヤー<Deepak Nayar>/ヴィム・ヴェンダース<Wim Wenders>/ニコラス・クライン<Nicholas Klein> | |
監督 | ヴィム・ヴェンダース<Wim Wenders> | |
脚本 | ニコラス・クライン<Nicholas Klein> | |
撮影 | パスカル・ラボー<Pascal Rabaud> | |
編集 | ペーター・ブルツィゴッダ<Peter Przygodda> | |
音楽 | ライ・クーダー<Ry Cooder> | |
出演 | ビル・プルマン<Bill Pullman>(マイク・マックス)/ アンディ・マクダウェル<Andie MacDowell>(ペイジ・ストッカード)/ トレイシー・リンド<TraciLind>(キャット)/ ガブリエル・バーン<Gabriel Byrne>(レイ・ベーリング)/< br> ローレン・ディーン<Loren Dean>(刑事ドク・ブロック)/ ウド・キア<UdoKier>(映画監督ゾルダン・ティボール)/ サミュエル・フラー<Samuel Fuller>(ルイ・ベーリング) |
ハリウッドの敏腕プロデューサー、マイク・マックスは暴力映画をテーマにヒットを飛ばしてきた。彼は休暇で来た筈の美しい海に面したマリブの豪邸のテラスからノート・パソコンで秘書に指示を飛ばしている。「暴力の元凶」という映画で事故が起こり、女性スタント(キャット)が顔を負傷したとの報告があった。訴訟を起こされることをおそれたマイクは見舞いに行くことにする。一方、マイクの妻ペイジは休暇にまで仕事を持ち込むマイクに嫌気がさし、結婚生活に終止符を打とうとしている。
ペイジが荷物をまとめて出て行こうとしたとき、マイクから連絡が入る。マイクは二人組のチンピラ強盗に誘拐され、人気のないインターチェンジの高架下で殺されかける。一方その光景をFBIが極秘に実験を行っている監視カメラがとらえた。それはロサンゼルスのあらゆる場所に設置されたビデオカメラと観測衛星を結び、暴力犯罪を未然に防ぐための監視システムだった。そのプログラムの設計者レイ・ベーリングは無数のモニターの中で暮らしている。レイはマイクと男たちの不審な行動を発見したが、その映像は途中でFBI高官からの映像に切り替わってしまった。翌日、二人の強盗は首を吹き飛ばされて死体で発見された。マイクは行方不明になった。
マイクはメキシコ人の庭師の一家に助けられ、そこで怪我の回復を待っていたが、その後も庭師の仕事を手伝って、自分がどんな事件に巻き込まれたのかを探る。誘拐された理由を考えたとき、ある日巨大な量の通信が届いているという秘書からの報告を思い出す。フロリダのテクノロジー展で知り合ったレイ・ベーリングからのデータだった。
この事件を担当することになった刑事ドクはキャットやペイジに聞き込みをする。当初、事件はマイクの仕業で逃亡しているものと考えたが、マイクが行方不明になる理由がわからず、しかも殺され方が尋常でないため、他の巨大な犯罪の影を感じる。しかし捜査は要として進展しない。一方でドクはキャットと次第に親しくなっていう。
レイが監視カメラに埋もれているグリフィス天文台にはエルサルバドルから逃げてきたという母娘がメイドとして働くように送り込まれる。実際はFBIによってレイを監視するよう指示されたのだが、当初は厄介に思っていたレイも次第にマチルダとフロリンダに心を開くようになる。
レイはマイクの事件を引き続き追うが、FBIに疑問を抱くようになる。ひそかに観測衛星のカメラからダイレクトに映像を再現することに成功する。そこには二人の男の頭を瞬時に吹き飛ばした映像が映し出された。この監視システムは単に監視するだけでなく、「暴力を終焉させる」ことを目的としたものだった。
キャットは偶然マックスに出会い、彼から真相を聞き、秘密を解く鍵を握るレイの連絡先を預けられる。キャットから渡されたメモによってドクはレイに辿り着くのだが、接触する直前にどこからともなくレイに銃弾が飛んできて、あっさり殺されてしまう。
ペイジは夫の失踪後、製作会社を自分のものにする。マイクは自分の家に忍び込みペイジに見つかってしまい、ペイジに銃を突きつけられる。マイクはもはや以前の生活に何の未練もないことを自覚する。
マチルダはFBIの高官に呼び出され脅されるが、新しい生活を始める、撃つなら撃てばいいときっぱり言って去る。そしてラスト、さわやかな顔をしたマックスとフロリンダが船の上で言葉を交わしている。
タイトルからハリウッド映画のサスペンスものを予想して観た人はものすごくつまらなかっただろうと思う。アイディアは良いけど、未消化だとか何とか言われがちな作品だ。 ビル・プルマンは「インディペンデンス・デイ」で当時大統領だったビル・クリントンを狂喜乱舞させた大統領役というところで、まぁ、これぞまさにアメリカ人俳優らしい俳優を獲得した。ヴェンダースが審査委員長になったカンヌ映画祭で強力に押したのが「セックスと嘘とビデオテープ」。これで一躍スターになったアンディ・マクダウェル。これが夫婦役で出ている。私はこれが失敗の元だったのではないかと思っている。というのも、上記に書いたように、これは元々いわゆるヴェンダースの「小品」であって、ハリウッドと対決するような文芸大作でもなければ、商業的なヒットを義務づけられたアメリカ映画でもない。それなのに、どちらの側にもつかず、カギ括弧の「ヴェンダース」の色も薄い。それ故どう位置づけていいのかわからなかったのではないだろうか。その傾向がこのビル・プルマン&アンディ・マクダウェルという大物を使ってしまったが故に、本来の方向とは違う映画と位置づけられやすい傾向を作ってしまったのではないかと思う。 アメリカのサスペンス映画として致命的なのは、主人公が逃げ回るだけで反撃しないことだ。彼は自分が何故狙われているのかは探るけど、それ以外に危険そうな行動をとらない。わけのわからない事件に巻き込まれた主人公は、危険を省みず敵と対決する。必ずペアになってくれる女性がいたりする。そういう展開をあえて避けている。 テーマは相変わらず「見ること」である。そして「見る」ことと「見られること」の逆転がここでも現れている。FBIの監視=見るシステムを作ったガブリエル・バーンはそれを疑問に思っている。いくら犯罪防止のためとは言え、こんなに隅々までプライバシーも何もありはしない。そんな監視システムを稼働させ運用させているのは果たして正しいのだろうか。そして、更に見た結果(犯罪を見つけた結果)、システムはどう動くのか。監視システムが衛星とインターネットで出来上がっているという点からヴェンダースがインターネットの未来に対する一定の危惧感を抱いていることは確かである。 冒頭のマリブの自宅での秘書とプルマンのノートPCによるテレビ電話は実用化されている。便利でいいなと思うが、一方でプルマンは庭師の名前も知らず、家の中にいる妻はすぐそばの庭にいる夫に携帯で電話をする。コミュニケーションツールの便利化が進むと孤独化が進むと言うことが表現された場面だ。わざわざ海の見えるプールつきの自宅で、そんなことしなくてもオフィスへ行けばいいと思う。仕事が自宅まで追いかけてくる、というか自宅でも仕事が出来る環境が整うと、当然それを要求されるからだ。こういうツールは使うことそのものは楽しいのだが、反面おろそかになってしまう部分が出てくる。 ホッパーの「ナイト・ホークス」の絵がバッチリ組み込まれている。この場面は「シーズ・オブ・バイオレンス」というプルマンがプロデュースしたバイオレンス映画のクライマックスで、このダイナーで銃撃戦が展開されるようだ。一種のお遊びかと思ったが、ヴェンダースとしては大まじめに「殺人者たち」と「ナイト・ホークス」の関係を考えてとりあげたようだ。 この映画は暴力とインターネットなどテクノロジーに対する依存から人間の孤独を生み出すというテーマをもつ。そしてテクノロジーをどう使っても、相変わらず「見ること」が主眼なのだ。決して目新しいテーマではないが、それをヴェンダース流に料理するとこうなるのだろうが、あえてヴェンダースがこのテーマを取り上げる意味はあまりなかったと思う。単なる待ち時間映画にしても、もう少し目の前のテクノロジーと暴力以外にも取り上げて欲しいことはたくさんあるのだが。この辺が「夢の涯てまでも」のテクノロジー依存(夢中毒)というテーマからまだ逃れられていないのかなと思う。 |
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Photo : Ciby Pictures Inc., Los Angeles, Road Movies Filmproduktion/Berlin
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