パレルモ・シューティング
Palermo Shooting
制作年 |
2008 |
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邦題 |
パレルモ・シューティング |
原題 | Palermo Shooting |
ジャンル |
ドラマ |
時間 |
108分 |
フイルム |
- |
カラー |
カラー |
製作国 |
独/仏/伊 |
製作会社 | Neue Road Movies |
製作総指揮 |
ペーター・シュワルツコフ<Peter Schwartzkopff>/ジェレミー・トーマス<Jeremy Thomas> |
製作 |
ジャン=ピエロ・リンゲル<Gian-Piero Ringel> |
監督 | ヴィム・ヴェンダース<Wim Wenders> |
脚本 | ヴィム・ヴェンダース<Wim Wenders>/ノーマン・オーラー<Norman Ohler> |
撮影 |
フランツ・ルスティヒ<Franz Lustig> |
編集 |
ペーター・ブルツィゴッダ<Peter Przygodda>/オーリ・ヴァイス<Oli Weiss> |
衣装 |
ザビーナ・マグリア<Sabina Maglia> |
オリジナル音楽 |
イルミン・シュミット<Irmin Schmidt> |
音楽監修 |
ミレナ・フェスマン&ベックマン<Milena Fessmann & Beckmann> |
出演 |
カンピーノ<Campino>/ジョヴァンナ・メッゾジョルノ<Giovanna Mezzogiorno>/デニス・ホッパー<Dennis Hopper>/インガ・ブッシュ<Inga Busch>/ヤナ・パラスケ<Jana Pallaske>/アクセル・シクロフスキ<Axel Sichrovsky>/ゲアハート・グートベアレット<Gerhard Gutberlet>/セバスティアン・ブロンベルク<Sebastian Blomberg>/ヴォルフガング・ミヒャエル<Wolfgang Michael>/アンナ・オルソ<Anna Orso>/ルー・リード<Lou Reed>/ウド・ザメル<Udo Samel>/ジョヴァンニ・ソリマ<Giovanni Sollima>/アレサンドロ・ディエリ<Alessandro Dieli>/ミラ・ジョヴォヴィッチ<Milla Jovovich> |
公式サイト |
http://www.palermo-ww.com/ |
■ 内容
フィンは大きなスタジオ、多くの弟子をもつ世界的に成功した写真家だ。彼の写真はデジタル処理によって「現実」を組み替えることでまったく新しい世界を作り出している。デュッセルドルフを活動の拠点としているが、常に携帯電話や女性問題においかけられる日々で、精神的に追い詰められているのか、不眠症だ。
車を運転しながら撮影していると、あわや大事故という憂き目にあう。そのとき、不審な男を撮影していた。派手なセットで撮影した女優が「自然の中で撮りたい」というので、それを口実に偶然ライン川で見かけた船に書かれていた地名パレルモへ行くことにする。
撮影はすぐに終了し、女優や助手らを帰国させて、フィンはパレルモに残る。そこでは彼を矢で狙う男につきまとわれるようになる。一方で壁画修復をしているフラビアに出会い、矢の男の話をすると、他の人が信じないのに、彼女は信じるという。フィンの身を案じたフラビアは祖母がかつて住んでいたガンジという街へ連れて行く。そこでフィンはついにあの男に出会うことになる…。
■ 感想
この作品は「撮ること」にまつわる映画で、ヴェンダースが長年取り組んでいるテーマを扱った作品である。「ことの次第」や「リスボン物語」の系譜と言ってよいだろうか。今回は実像と虚像、デジタルとアナログ(フイルム)にまつわる考察を、少々デフォルメした形で提示している。
ヴェンダースはデジタルを否定せず、早くから取り入れた監督だ。今回もデジタルで撮影したものに処理を加えて、フィルムらしさを出したようだ。以前から自分でもデジタル撮影のものに手を加えることについて、考えたところが多々あったのだと想像する。
フィンの修正はまるっきり写真を変えてしまうようなものだった。彼の理論では写真は表層に過ぎず、そこに人が手を加えて写真となる。映し出したものに中身がないのなら、何のための写真だと弟子に反論される。派手なセットを組んで撮影した女優には、自分の実像が感じられず、自然な場所で撮りたいと言われてしまう。
自分自身でも、仕事もプライベートが行き詰まっていることはよくわかっている。その証拠にずっと不眠だ。母の死がきっかけか、死にたいと思うようになり、無茶な車での撮影を繰り返す。自動車事故に遭いそうになり、暗示のようにライン川で「パレルモ」という文字を見て衝動的にパレルモへ飛ぶ。その街で矢で狙われたり、壁画修復家の女性と出会ったりして、自分を取り戻していく。
主人公は母親の死により「死への恐怖」に押しつぶされそうになって、逆に「死への恐怖」を見ないふりをしているうちに虚無的になってしまった。が、死神が現れて「死への恐怖」をきちんと自分の中にもつことで、生きる喜びを感じることが出来ると教えられる。そこで、ようやく救われることになる。
この作品の場合写真だが、CGで何が出来るのかを観客にわかりやすく説明するため、ビルを変える、空を変える、色彩を変えると細かな指示を出すシーンがある。動画でもフィンの夢の中などでCGを使っているが、これが特撮を見慣れている人が見たら笑ってしまうような出来なのだが、意図しているのはCGを見せるということではなく、主人公の病んだ心象風景を表現することだ。死んだお母さんを背負うシーンなどのようにわかりやすいものもあるが、わかりやす過ぎる気があり、少々鼻白んでしまう。
冒頭、ドイツ語での主人公のモノローグが聞こえてきたとき、これはヴェンダースの古くからの入り方だと気付いて、なんだかホッとしたのを覚えている。
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2008年カンヌ国際映画祭正式出品作品。