|
ソウル・オブ・マン
|
制作年 | 2003 | |
邦題 | ソウル・オブ・マン | |
原題 | The Soul of a Man | |
ジャンル | ドキュメンタリー | |
時間 | 104分 | |
フイルム | 35mm | |
カラー | カラー | |
製作国 | 米 | |
製作会社 | バルカン・プロダクションズ/リバース・アングル・インターナショナル | |
製作 | 製作総指揮:マーティン・スコセッシ<Martin Scorsese>/ポール・G・アレン<Paul G. Allen>/ウルリッヒ・フェルベルグ<Ulrich Felsberg>/ジョディ・パットン<Jody Patton>/製作:マーガレット・ボッド<Margaret Bodde>/アレックス・ギブニー<Alex Gibney> | |
監督 | ヴィム・ヴェンダース<Wim Wenders> | |
脚本 | ヴィム・ヴェンダース<Wim Wenders> | |
撮影 | リサ・リンズラー<Lisa Rinzler> | |
編集 | マチルダ・ボヌフォア<Mathilde Bonnefoy> | |
出演 | ローレンス・フィッシュバーン<Laurence Fishburne>(ナレーター)/ |
1977年、ブラインド・ウィリー・ジョンソン(1902~1947)の「ダーク・ワズ・ザ・ナイト」は、ボイジャーに乗って宇宙へと旅立った。すでに亡きジョンソンが遥か彼方から地球を見つめ、伝説的な存在となっているブルースマンたちの人生を語る。当時の映像やセミ/ドキュメンタリー映像、ライブ映像や現在のミュージシャンたちがカバーしたライヴ映像でつづる。
ウィリー・ジョンソンは幼少の頃灰汁が目に入り失明。街角や教会で神への賛歌を歌っていた。通常言われるゴスペルとブルースの間の境を問題とせず、神への賛歌にブルースの形式を持ち込んだのである。彼の歌がレコーディングされ、名声を得た後もずっと街角での歌を続けていた。
1931年、スキップ・ジェイムス(1902~1969)は地元のコンテストに合格し、パラマウント・レコードでレコーディングする権利を得る。それは18曲を一気に録音したという伝説のレコーディング。その報酬として実費の40ドルで印税を選んだ。だが、時は大恐慌の時代。印税は手に入らなかった。そこでバプティストの牧師となり、消息を絶っていた。
ブルース研究家がスキップ・ジェイムスを発見したのは1964年のことだった。そして「ニューポート'64」のライブに引っ張り出す。30年以上ものブランクをものともせず、17,000人もの聴衆を魅了する。だが、このコンサートの時、すでに彼はガンに侵されていた。クリームのカバーによって得た印税で晩年の入院費と生活費をまかなったという。恵まれない晩年ではあったが、それでも翌年のニューポート65にも出演し、幻の18曲と新曲を含め録音することができたのは、まだしも幸いだった。
もうひとりの伝説のブルースマンは、ソングライターの草分けJ.B.ルノアー(1929~1967)。シマウマ柄の燕尾服がトレードマークだった彼のブルースは精神的、宗教的なテーマを歌うものが多く、当時の社会問題に触れた曲も作った。彼の姿を短篇映画として残したシーバーグ夫妻のインタビューと映像で彼の姿をさぐる。ルノアーは38才の若さで死んだ。交通事故だったが、病院は適切な処置を怠ったとも言われる。彼の最後の仕事は皿洗いだったという。
いつの間にか音楽映画の巨匠のようになってしまったヴェンダース。いい映画を撮っていることだけは確信できて、それは嬉しいのだが、音楽映画のドキュメンタリーの人だと思われても困るというか、それは本業ではないと思いたい。 |
CD Infomation | Books Infomation |
Photo : 2003 Vulcan Productions, Inc. and Reverse Angle International Gmbh All Rights Reserved.
Writing : 2005- WWfan Original content2005 - 2024 Yuko Nagai Contact |